2015,12,31/亀井 敏裕
海老沢俊のつづき。
【亀井 敏裕】
亀とよんでいる。
親友、戦友、同士、相棒。なにかなあ?と考える。
1998年。
出会いは美術の専門学校。
最初の会話は「このクラスかわいい子いねえな〜」だった。
卒業後、俺は家具職人の修行に入り、亀井は独学で彫金の道に進んだ。
ちょくちょくやり取りする仲が続いた。
2003年。
独立を考えて亀井に声を掛けた。
お互い個人事業主で工房をシェアしないか?という誘いだ。
何も知らない俺たちは今思えばどーでもイイが、見よう見まねで事業計画などを書いて準備した。
それはそれで何か人生が進んでいる感じがして楽しかった。
独立はアマくなかった。
最初に持ち寄った300万はすぐに底をついた。
亀井は彼女との間に子供がデキて結婚し横浜から通うことになった。
俺には2人目の子供がデキた。
無計画ここに極まり。
仕事が無い。
とにかく単価を下げて仕事にありつく。
それでも、同業者からの下請けはしないと決めていた。
やってもやっても金にならない。
それでも徹夜でやらなきゃ終わらない。
工房に行くガソリン代が無い日もあった。
もらい物の汚ねえ1BOXの荷台で梱包用のホコリまみれの毛布にくるまって寝た。
食べようかどうしようかと迷いに迷い2人でラーメンを食べた事を覚えている。
あの一杯が今までのどのラーメンよりも一番美味かったな〜と今でも話題に挙るほど身体に染み渡った。
半年あたりから亀井は体調を崩した。
そして一年が経った頃、横浜から車で出勤中に事故を起こした。
居眠り運転だった。
搬送された病院に向かう途中、クシャクシャのボールの様に丸くなった亀井の車を見た。
大きな怪我はなかったが、亀井の心は折れた。
「もう続けられない」
共同でシェアするはずが身勝手すぎるだろう?
なに折れてんだよ?
喧嘩になった。
30段くらいはあるだろうか?立川駅の階段のてっぺんから蹴り落とした。
人だかりができた。
救急車が来た。
それで解散だ。
俺は一人でKOMAをつづけた。
一人になった分、家賃や光熱費の負担などで余計に苦しくなった。
俺ももうダメかな?と思っていた。
前にも書いたので割愛するが、多くの人に恵まれて首の皮一枚で浮上が始まる。
あれからずっと亀の事が頭を巡っていた。
言葉にすると陳腐になるが「夢半ば」だった。
勝手に亀の復帰を目指し仕事をする様になる。
担当してもらう仕事を想像して亀の分の仕事量の確保を目指した。
その頃、亀は八王子で家具職人としての修行を初めていていた。
解散から一年、亀を誘って酒を飲む。
「もう一回一緒にやらねえか?」を言いたかった。
「絶対にやらねえ」の返事は予想どおりだった。
半年間、言い続けた。
奥さんを説得して戻ってきてくれた。
俺がアタマで亀はNO2。
共同経営じゃない。
責任は俺が持つ。
まず一年で1000万の現金をつくる。
工房の引っ越し、機械の入れ替え、従業員の雇用を最初の目標に走り出した。
2007年。
二人三脚がはじまった。
現在に至るまでは、この場だけでは書ききれないので割愛するが目紛しい日々だった。
苦しくもあったが楽しかった。
しかしこの3年は俺と亀の間にミゾがうまれた。
ありがたい事だが、外からの評価が一人歩きしていった。
毎月の雑誌の取材。TVで特集。世に出る機会も増えていった。
実際の実力よりも高い評価を受けている様な気がした。
怖くなった。
KOMAのメッキが剥がれる前に追いつかねえと。と錯覚した。
俺がやらねえと。
止まれねえ。
あの頃には戻りたくねえの一心だった。
俺は勝ち進む事に執着した。
歴史の無い俺たちにとって勝ちを得ることだけが生き残る道だと思った。
いつのまにか一人で戦うようになった。
外ばかり見て会社の中は一切見る事がなくなった。
人数も、機械設備も、俺たちの実力も、会社の中身は何も変わってないのに、対外的な評価に追いつく為にやらなきゃいけない事だけが大きく増えた。
小さな会社は全ての業務を自分たちが担わなければならない。
会社と社会の状況で自分たちが求められる役割は目紛しく変わる。
会社にとって足りないスキルは自分が身につければならない。
役割分担はただのなすり合いになった。
頼り合うのではなく丸投げしあった。
身のあるコミュニケーションは減り、何かを一緒に考え行動する事が無くなった。
いつの間にか俺と亀の二人三脚はバラバラになっていた。
俺の焦りは亀に実力以上を求めるようになった。
俺が荒れる事も多くなった。
亀のヤル気は少なくなった。
上手くいかない事は互いに互いのせいにした。
KOMAの成長に自分たちがついていけていなかった。
とは言え、全てが悪かった訳じゃない。
俺も悪かったし亀も悪かった。
亀は悪くねえし俺も悪くねえ。
といったところだ。
もちろん反省すべき点は多々ある。
反省があれば次に繋がる。
現に今、こうしてKOMAは存在する。
10年生き残る会社は3%と言われる中でちゃんと存在しているのだ。
遠回りしたんじゃない。
KOMAを生き残らせる為にお互いに必死でやってきた結果、生き残っているという事実がある。
言い訳ではなく、ああなる他に無かったように思う。
維持継続の為に経なければならない時間だったように思う。
弱さを経験していない強さは無いのだ。
強くなる為に気付けた弱さだ。
今、KOMAは本当に強くなろうとしている。
もう、今のKOMAが求めている事は俺と亀だけでは全然足りなくなっちまったって事に気付けた。
だからこそ役割があるのだ。
若い衆が定着し大きく成長してくれたおかげで気付きが得れた。
あの頃の二人三脚を今のKOMAでやれるようになってきた。
そして、今は二人じゃない。
全員で肩を組んで一歩ずつ進むのだ。
俺にとって亀井は、自分を映す鏡だ。
親友、戦友、同士、相棒でもあるが、それらを超えた存在でもある。
年の瀬に気付けて良かった。
本当に新年が楽しみに迎えられるのは何年ぶりか。
もちろん不安も多くあるけどね。
とにかく、いろんな事と仲間達がありがてえ。
よいお年を〜
あけましてにつづく。