2016,4,6/バトンを繋ぐ
感謝する人たち4のつづき。
【バトンを繋ぐ】
ガキの頃から一番の遊びはものづくりだった。
遊びがそのまま仕事になるってのは幸せな事だが、キライにならずに続けていくってことは案外難しいように思う。
飯を食う為のオシゴトになってしまうからだ。
ただメシ食って寝るだけじゃダメなんだろうか?
生きる意味や意義って、目標や目的って必要だろうか?
ダメじゃないし必要ないと思う。
ただ、楽かどうかだ。
苦しいだけならやめればいい。
苦を楽にするために目標や目的が必要なのだと思う。
ごく一部の本物の天才を除いた俗に言う才能ある人っていうのは、苦しみの先を上手に見出すクリエイションが出来てる人だ。
今、得ている全て。
衣食住、生活に必要な物質も、生命としての肉体も、人としての精神も、全て誰かに繋いでもらったものだ。
自分一人で手に入れたものなど何一つ無い。
与えられた環境の中で、繋いでもらった肉体と精神を持って生かされている。
大きな流れの中であらがう事も出来ずにただ生きていく事に変わりはないが、命以外の物質や精神を繋ぎたいと願うのは人間が持つ邪(よこしま)な考えなのだろうか?
自分の生きた証を残したいと、爪痕を刻みたいと努力する事は、人間特有の下らないエゴなのだろうか?
生きて命を繋ぐというのは動物の本能だ。
より良い環境を求めて活動するのもまた動物の本能だろう。
本能には邪な作為もエゴも無い。
そうやって得た環境を仲間と共に喜び、共有して次の世代に繋ぎたいと純粋に思う。
社会に対して自分たちが出来る事はしていきたいと思う。
【最高な家具を創って、最高に喜んでもらって、最高にカッコ良くある。】
家具づくりを通じて、仲間達、お客様、未来の後輩、そして俺たち自身も、
みんながワクワク出来る様な挑戦をし続け、心に響く音楽みたいな家具を創る
サイコーにイカしたロックバンドみたいなカンパニーであること。
これがKOMAの企業理念だ。
ガキの頃から作ることが好きだった。
ゲームなどは一切ヤラずに粘土、折り紙、LEGO、彫刻、プラモ、ラジコンなどなど、ありとあらゆる工作をやったように思う。
そこには自由なクリエイションと喜びがあった。
それがそのまま大人になった。
だから、ものづくりを通じて一生ワクワクしていたい。
自由なクリエイションがない下請けじゃなくて。
クラフトとして、ニッチなマーケットで細々と貧乏しながらじゃなくて。
好きなものづくりでどうにかメシが食えてるなんて自己満足じゃなくて。
社会的な結果を見せたい。
小さな製造業でも大手メーカーのプロダクトとメジャーなマーケットで渡り合いたい。
工業製品ではなく、本物のクラフトマンシップのあるプロダクトというジャンルを一般市場の中でもっとキチンと確立したい。
そして、より多くの人に触れて喜んでもらえたら嬉しい。
運命に身を委ねながらも常に自ら選択する挑戦者であり続けたいし、開拓者として先頭を走りたい。
思ったように行かない事ばかりで毎日もうやめたいと思うけど、
その苦楽の中にこそ本能的に喜べる何かがある。
今、自分たちに出来る精一杯の積み重ねが創れる何かがある。
そうやって先輩達が繋いでくれたバトンを今度は俺たちなりのカタチにして次の世代に繋いでいけたら嬉しい。
「製造業の苦楽」につづく。