2016,4,17/製造業の苦楽
バトンを繋ぐのつづき。
【製造業の苦楽】
ヤリ続けてきた事で賞状をいただくっていうのは素直に嬉しい。
何だか子供の頃より大人になってからの方が余計に嬉しく感じるのは、続ける事の難しさと同時にありがたさを知れたからだろう。
だから職人として良い時代に生まれたなぁと思う。
大親方(89)は戦後から高度成長期を経て、あれが製造業にとって最高の時代だったと言う。
モノが無いから作れば売れたらしい。
どの時代に生まれても一生懸命に過ごした人にとっては自分が生きた時代がサイコーなんだろう。
2000年に社会人になって基本的にいつも不景気と言われているが、それしか知らないから実感がない。
俺にとっては今の時代が最高だ。
作れば売れる時代なんて面白くない。
「モノが無いから売れる」なんて売れる理由としてつまらねえ。
「何でもイイんだ。とりあえずそれちょうだい」なんて言われたらちょっと悲しい。
どうせなら、「気に入った!」と多くの選択肢の中から見つけて買ってもらえたらスゴく嬉しい。
今はモノが溢れ、製造業にとってはモノが売れないと言われるが、ユーザーにとっては海外ブランドから国内の地方産業まで無限の選択肢を得て、こだわりや趣味の幅も大きく広がり、よりワガママにじっくりモノが選べる時代だ。
目の肥えた消費者に向けて新しいモノやサービスが次々に出ては消え、目紛しく淘汰されていくが、マーケットそのものは無限に広がっていくようで面白い。
その中から選んで買ってもらった一つ一つが本当にありがたいし嬉しい。
今は、そんな嬉しいことがたくさん感じられる時代とも言えるのだ。
俺みたいな根っからの高慢ちきでも素直にありがたいと思える時代なのだ。
角度や尺度は様々あるが、何れにせよ「良いモノを作り続ける」っていうのはいつの時代も難しい。
ちょっと前からサステナブルなんてよく聞くが、持続可能ってのは「無理なく」っていうのが大きなキーワードになるのだろう。
無理なく健全に歪みなく会社を運営して生き残っていけるなら誰も苦労しない。
だから何事も「続ける」っていうのは難しい。
小さな製造業が大きなマーケットの中で自立するのは無理の連続だ。
時間も金も労力も何にも余裕が無いなかで、何度も失敗しながら自社製品の開発をする。
その次は最低限の準備として売れる保証のない在庫ストック分を材料費をはたいて作る。
限られた予算を切り詰めながら発信、営業、販促。
一銭にもなっていないのに経費ばかりが先行する。
超無理で不健全だ。
それでも挑戦したいと思えるのは、サイコーに可能性に溢れた楽しい時代だからだ。
何事も無理の連続を経て、少しづつマシになっていくものだと思う。
マジの職人にしか創れない「本物」を創る家具メーカーとして成長していきたい。
だから、一つの家具メーカーとして評価してもらえた今回の受賞は嬉しかった。
飛騨産業、天童木工、カンディーハウス、カリモク、アルフレックス、宮崎椅子製作所など名だたる大手メーカーの中に俺たちみたいな小さな家具工房が混ざれた事が嬉しい。
それもこれもこの時代のお陰様々だ。
「お陰様々」につづく。